ローカル線放浪記&模型

主にローカル線とNゲージを紹介。 他、身近にあったこともついでに。

長野電鉄屋代線、廃線からもう12年か・・・

2012年3月31日、屋代線運行最終日。今日は話題に欠けているので12年前を振り返ろうと思います。

昼間に模型工作をしようと思っていたのですが、模型部屋を掃除していたら、出るわ出るわ、不要なものがいっぱい。朝からもう不要な、古い布団や衣類を整理していたら押し入れの奥の方からいつ買ったのか判らなくなっていた900形のKATOのデスクトップレイアウトが出てきました。もはや使用することも無いので布団と一緒に午後、焼却ゴミセンターに出しに行ってきました。あれだけでかいと粗大ゴミ扱いになってしまい自宅回収だと結構な金額になってしまうので。まぁもったいないのかもしれませんが使い道がもう見いだせないので仕方がありません。

さて話題を屋代線に戻しまして、2012年3月31日。この日をもって廃止になるということで現地に馳せ参じた訳です。廃線最終日に乗りに行くのは初めてのことでした。名鉄の岐阜600V線の時は31日が休めなかったのでその数日前に訪れていました。

須坂駅の中線にはOS10が廃車後も置かれていたのですが、何かこの角度から撮ると動いているように見えたりします。

こんな良いデザインの車両、解体されてしまったのは惜しいです。まぁ模型化されたのでいつでも楽しめるだけでも良しとするしか無いところでしょうか?

松代の駅はイベントをやっていたこともあって、たくさんの人がいました。懐かしの3500系のO2編成。何故か鉄コレでもO編成だけ出ていない・・・

当日は朝から雨が降っていたのですが、日中気温が下がり雪に変わった時間もありました。L2編成。

屋根のベンチレーターが他の編成と違っていた異種だったO6編成。こちらも小雪が舞っていました。

夜、最終の松代行きに乗るための列に並びました。ちなみに日が暮れてからは写真が撮れないので最終の時間まで須坂の湯っ蔵んどで温泉に浸かりつつ休憩と食事を取って時間を過ごしていました。

電光掲示板には屋代線が最後である旨の表示が流れていました。

最終の松代行きは大きな混雑も無く、何か拍子抜けのような感じでしたが、松代に到着して駅におびただしい人がいて思わず「おー」と言ってしまいました。

さらに言えば、このあと乗った最終の須坂行きはもっと人が少なくて、最終という感じではありませんでした。これはこのあとに臨時の2000系が須坂~屋代間の往復運転をしていたからでした。

それでも須坂に到着した最終電車を撮る人はそれなりにいてなかなか撮るのも大変でした。

このあと、長野市内のホテルに泊まって(この頃は1泊6000円でした)、翌日再度須坂駅へ。

屋代線が無くなって棒線になってしまった長野電鉄屋代線があって、木島線があった頃はそれなりに地方鉄道でも大規模な感じでしたが、ちょっと寂しくなってしまいましたね。

来月は鉄コレから長電3000系が発売になる予定、そしてその前にホビーショーで試作品が見られそうで楽しみです。