撤去が進む・相鉄厚木飛行場専用線
現在撤去が進んでいると言う噂を耳にしたので本日急遽、相模大塚へ厚木飛行場専用線の状態を見に行ってきました。
トップ画像は分岐箇所を通り過ぎる12000系。
実は線路はこの部分しか残っていませんでした。他、構内の折り返し線も残っています。(矢印箇所)
私が知っている米タン輸送は厚木側からED11が牽引してやってくる時代なので、タンク車は大塚でいったんバックして、この測線に入り、専用線に入っていきます。オレンジの丸印に次のさがみ野の駅が見えています。以外と近いんですね。
一番最初の踏切跡から撮った分岐点。ここだけですよ、線路があるのは。
これが分岐して一番最初の踏切(跡)・・・歩行者専用ですね。幅1メートルもありません。見ての通り線路もありませんが、コンクリート枕木はまだありました。
この踏切跡から見た厚木飛行場側の廃線跡。完全に何も無くなっています、今後は道路になるのかな?
この廃線跡の一番の見所だった踏切箇所。私の記憶だと丸印の道路標識は踏切ありだったと思う。いつの間にかデコボコありのマークに変わっていました。
米タン輸送を見に行ったのはかなり昔なので、ここをタンク車が通ったのを見たのかすら記憶がもう無いです。当時から遮断機が無かったので、良い光景だっただろうな。
この先も線路はありません。だいぶ撤去は進んでいるみたいです。
一応工事は来年3月末までに終わるようですが、すでにほとんど終わっているように見えます。
鉄くず屋前の踏切部を線路が写る角度で撮影。この廃線跡は今日現在、踏切部のみ線路が残っている状態でした。
この先、踏切箇所だけ線路あり状態が続きます。
そしてもう一つの撮影スポットであったろう、大和5号橋。道路のと併用橋でした。ここも線路は外されていまして、枕木だけが雑草の間から顔をのぞかせていました。
工事フェンスの脇から線路部分を撮影。かすかに枕木が確認できると思います。それにしてもここを貨物列車が通る写真、撮っておけば良かったなぁ、と言ってもまだ小学生の時代ですからねぇ。
東名の下り線は激しい渋滞でした。
また時折上空を自衛隊機が数機旋回していました。
踏切を越えた線路はこのように飛び出しているところもありました。結局線路は末端まで、踏切で無い場所はすべて撤去が完了していました。
沿線には月極の駐車場がありましたが、入口のところにこのような看板がありました。
米タン輸送が休止になって、その後、飛行場内の線路が撤去されてから長らくここが末端になっていたのですが、車止めも無くなり、あと数日でここに路線があったというすべての痕跡が無くなりそうです。
基地内の線路はだいぶ前に撤去されていますが、なんとなく矢印箇所に線路があったような雰囲気は残っています。
さて、この貨物線跡を訪問前後に相鉄・小田急を撮りましたのでそちらは後日掲載したいと思います。
あっ、そういえば以前買った相鉄のED11(マイクロエース)が東日本大震災の時に展示台から落下して床に落ちて木っ端みじんになって壊れたことを思い出してしまいました。
それでは。