回顧、長電須坂駅の片隅にあった保線小屋を懐かしむ
長野電鉄を最初に訪れたのは2008年のこと。そして須坂駅を訪れ始めたのが2009年。
当時から電車だけでは無く、駅舎の写真を撮ることもしていました。須坂駅の外れにある保線小屋のようなものが写っておりましたが、現在は解体され新たに作られた車輪転削場の一部になってしまっています。
今回はこの保線小屋の写真がいくつか出てきたので、2009年からを振り返って紹介したいと思います。
まず保線小屋のあった位置ですが、googlemapで紹介しますとこの赤丸の位置です。
正直この上からの画像を見て、とても興味を持ちまして、手持ちの写真でどのくらい撮ったのかを検索したわけです。
ネットでもあまり触れられていない保線小屋・・・
まずは屋代線現役時代の2009年のもの。小屋の奥の方に櫓のようなものも写っています。
少し離れて。8500系と一緒に、このときはまだ4編成だったと思います。
反対側から。実はこの反対側からのショットがほとんど無くて、googleマップのようなトロッコが写っておりません。もうちょっときちんととっておけば良かったです。冒頭の通り、この小屋の情報はネットにもあまりなく詳細がよく判りませんで。
時は進み屋代線廃止後の2014年の状態。あまり変わっていないのですが、櫓が無くなっていました。横には8500系のT6編成。
雑草が無く、保線小屋周囲の線路がよく写っています。
こちらも反対側(踏切側)から。トロッコが1台写っていますが、もう少し引いて撮っておけば全容が判ったかも。
奥の駅ホームに主眼を置いて撮ってしまったので。当時、保線小屋にあまり関心が無かったんですよね。もったいない。
2017年。保線小屋は解体されなくなりました。屋代線の線路も撤去され、このとき、ここがどうなってしまうのか?と思ったものです。
このときもしっかりと反対側も撮っておりました。
鉄板が敷かれていました。それにしてもこの保線小屋のすぐ隣にある一戸建ての家の人ってどういう人が住んでいるんだろうか?
家へのアクセスもここに写っている狭い未舗装路でしか行けないみたいで・・・まぁ々なんでしょうか?長電好きな人にとっては好立地の家なのか?
2018年3月、車輪転削場の工事が始まりました。このときはまだ手前のメインの建物は建っていませんでした。
今回も反対側から。主屋は基礎工事中でした。先述の戸建てがほんの少し写っています。また、奥には車止めも。
ゆけむりの展望車から撮ったものです。こちらからの角度は車内からしか撮れません。
2018年10月、完成後の写真です。奥のユンボの止まっている分岐線が何のためにあるのか?よく判らないのですよね。
いつ行ってもユンボが止まっているような・・・まさかユンボ置き場というわけでも無いと思いますが。
ここでも反対側から。車輪転削場から道路近くまで線路は延びています、新車の入れ替えや古い車両の解体に使われるためです。
そして2019年6月の感謝祭の時に解放されたシャッターと8500系。
それにしてもあの古い保線小屋とトロッコ群。もう少しちゃんと撮っておけば良かったと後悔。無くなったものを撮ることはできませんからね。
ところでもしこの場所のジオラマを作るとしたら古い時代と新しい時代とどっちが良いかな?と思っています。古い時代の方が線路が複雑に入り組んでいて面白いですけどね。